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結城 伸太郎

「足跡」

結城 伸太郎

一本の刷毛から始まった第2の人生。

何を求めているわけでもなくただ過ごして来た10代。常識なんてものは知るはずもなく、子供のままの延長。

中学なんてろくに勉強もせず正直“一生懸命”なんて言葉を使っただろうか。

やればできる子、なんて聴きなれた言葉だけど、私自身周りから言われた事でもある。

高校へは入ったものの、ほんの数週間で退学。たいした理由はなく、ここは自分の居る場所じゃない。と判断しました。

その後即土木業(基礎工事)へ携わり、厳しい親方の下で数年を生きる。
毎日がストレスの連続で、胃袋に穴が開きそうなほど悩まされた。
「いつか見てろ、お前より偉くなってやる。」
こんな捨てセリフを何度心で思ったことか。

だが仕事が終わった後の開放感は素晴らしいものであり、ここからは自由だー!と自分に遊びというご褒美。

仕事後は友達と遊ぶ、こんな毎日の繰り返しに決して不満はなく、きっといつまでも続くものと思っていた。

勿論周りの友達は学生。夏休みもあれば冬休みもある。
私には無縁だったが、遊ぶ予定がかみ合わないのはちょっと不満だった。

いつからか仕事に情熱を感じなくなり仕方なく退社。もちろん計画性がない自分は次の仕事なんて考えていない。
その場しのぎで過ごして来た自分の表れである。

こういうマイナスなことは続くもので、自分のやる気すら奪われてしまう。
だらだらと何の当てもなく職場を変え、その職業は全て建築関係。

そんな計画性のない自分はここでも登場。
なんと当時付き合っていた彼女のお腹に小さな命が・・・
私も彼女もおろすつもりは全くなかったし、親に相談した結果、私の最高責任で認可。
ここで本気でがんばることを覚えた。

そんな時何も考えず参加した開業セミナー。
この時もまだ常識はなく私一人私服。周りには、決してかっこ良いとは思わないサラリーマンや経営者たち。
「あ~場違いだー!」と深く反省した。
しかしそこで知り合った1人の人が私のことを気にして話しかけてくる。

色々話した後「ふーん。ペンキ塗りもしたんだ。じゃあ僕の知り合いにペンキ屋がいるから、そこで少しお世話になったら?」
と言われ、まぁいいか。と軽く返事を返した。
本格的には塗装などしたこともなかったので少し楽しみでした。というより最終職、と考えていた。

一本の電話から、明日現場で待ち合わせ。ということで緊張しながらも出勤。
そこで待っていたのは1人の職人っぽいおじさん。そう、私の師匠となる人である。
多少は慣れてると思っていたが、別世界。「これが職人なんだ。」とひたすら感動。

たった数日間ですでにこの仕事にのめり込み、早く覚えたい一身でここで“一生懸命”と言う言葉の意味を知る。
半住み込み状態ながら、塗装とは何かをひたすら勉強。

少しなれた頃、師匠から一本の刷毛をプレゼントされた。大塚製の“筑波”の30号という刷毛です。
とても喜び、結婚して妻となった彼女にも報告。「水で天井を塗って垂れなくなるまで練習しろ。」との言葉を思い出し、
家で練習に明け暮れた。となりでおしゃぶりしている“好誠”も何だかわからず見ている。

そんな数年を過ごし、自分の腕前はある程度成長。冬は仕事が極限に少なくなるのがデメリットだけど、これほど仕事に情熱を
かけたことはない。頼りになる人たちのおかげで、冬もあちこち手伝いへ行きなんとか収入を作った。
“頼りになる人”はあの土木の親方も入っている。フリーになるとよく声をかけてくれた。

いつかの春、私自身で屋根の塗装を取ってきた。師匠に報告すると、「お前が自分で見積もって一人でやってみろ。道具は全部貸す。材料は
自分で買えよ。」ちょっととまどったが、要するに経営者として仕事してみろ、的な言い方だ。

やれるわけない!とは思わなかった。変に自信満々だったのを覚えている。
この時平米単価や材料代などの、いわゆる経営者的な勉強を初めてした。いわれるままに見積もりをして、施主様へ説明。

いつも師匠がしていた世間話も取り入れ、なんと受注決定。

師匠は驚かず、ただただ褒めていた。

きっとここですでに第2の人生は始まっていたのです。その後も紹介で次々に仕事を取ってきた私は、いつしか師匠と
共に仕事をすることが少なくなってきました。
本来職人である私が師匠を離れることは大変失礼であるのだが、師匠は見据えていたのか、私に「お前は自分で仕事とって、
自分で申告して、自分で考えろ。その方がお前は伸びる」
と言われた。

これにはびっくり!そんなことは考えていなかった。しかし現に仕事を取ってその工事金額を収入の元としていた私はすでに経営者。

師匠に嫌われたのか?様々なことを考え、奥さんにも“独立”のことを話すと、「え~!不安定だからきびしいんじゃない?」
勿論私自身真っ先に考えたことである。

しかし師匠的には戻ってくるなコール。とりあえずバックアップするから自分でやってみろとのこと。

とりあえずだめもとで活動を決意。
まず土木時代お世話になっていた大工さんたちに営業をした。すると誰もが覚えてくれていて、「お~!久しぶりだな、そーか、ペンキ屋
になったのか、じゃあ仕事が出たら連絡するから。」
と予想外に滑り出し良好。きっとあの厳しい土木の親方の下で耐えたからだろう。

実家が酒、食料品店だけあってそちらの常連客にも営業。

こんな形で営業しながら塗装工事を一人で続けること1年半。順調に仕事も来るようになり、この時すでに施工状況は師匠と変わり、
職人魂よりもお客さん命的な施工。長持ちするようあれこれ試行錯誤して塗料の猛勉強。
取引していた材料屋の社長にも目を付けられ、大きい会社との取引も出来、仕事の量はどんどん増える。

ここで丁度フリーになっていた弟俊輔の友達、隆典をバイトで使う。
もともと手付きが良かったのか、教え方が良いのか、隆典は仕事をどんどん吸収する。
基本的なことは師匠から受け継いだ技術をそのまま伝授。

勿論師匠譲りの刷毛プレゼント攻撃も行った。(私同様とても喜んでいた。)

師匠のところにもたまに手伝いへも行った。今でも付き合いがある。

色んな人に出会って、世話になって可愛がられて、私はとても幸せ者だと心から思います。
いつしか“一生懸命”も“常識”も覚えて、あのセミナーの時かっこ悪いと思ったサラリーマン達を今はかっこいいと思える。

迷惑かけた親と土木の親方も師匠もセミナーで出会った人たち、みんなに感謝したい。
彼らが一人でも欠けていたらきっと今の自分は居ないから・・・

そして何より人生の賭けに付き合ってくれた妻、支えとなり一緒に我慢した家族に私は誇りを持てる。


現在は弟、俊輔を加えつつ、最近入った新人間山を加え総勢4人。

隆典と俊輔はどこへ行っても恥ずかしくないほどに順調に成長して止まらない。

こんな会社を築けるとは思ってなかったが、師匠は見越していたんじゃないだろうか?
あの時自分でやってみろ、と言われなければ私は何をしていたんだろう。
結婚している責任もあったので、腐ることはなかっただろうが、きっと独立はしていなかったんじゃないかな。

運も知識も技術もお客さんも、紛れもなく自分で掴み取った功績なのでこれからも自信を持って続けて行きたいと思います。
自分の“足跡”に悔いもなく、むしろ誇りに思えるので、これからも石橋をたたいて足跡を残したいと思います。
決して大きい会社じゃないけれど、誰からでも気軽に声をかけてもらえるような社長でありたい。

そして大きくなったとしても(するつもりは今のところないけれど)人を見下す人間にはなりたくない。
自分は常に現場主義者で、雑用的な社長が性に合ってるかも。
仲間達も頼もしいので、このメンバーで負ける気は全然しません。

これからの時代、若い人が先陣切って進まなければいけないと思う。
苦あれば楽あり、これは本当のことです。自分から苦に飛び込めば迷いから抜ける突破口を開けるので、私的には苦はプラス思考で
考えています。


今自分が何をしたいのかわからない若者がたくさんいます。自分も元はそんな人間でした。ちょっとしたきっかけで
変われるはずなので、親も焦らず見守るべきです。
私も自分の親のような立派な親になりたいと思います。息子の親でもあり、会社の親でもあるので責任を持って行動し、せめて
ちょっとは見本になれるような人間になりたいです。


もっと書きたいことが山ほどありますが第1章と言うことで・・・


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